ELEY KISHIMOTOと私




初めての仕事

今日も時計について。

新卒で入社した会社は
ジュエリー・アクセサリーの企画販売をする会社でした。

入社から2年目までは
ANA SUIやRebecca Taylorなどの
カワイイ系アクセサリーを担当しておりました。

上記のような世界観が大好きで、
等身大の自分を表現できる環境にどっぷりのめり込んでいて、
ある意味、冷静さを欠いたお花畑状態の楽しい仕事でした。

入社3年目で配置換えがあり、
新しく担当することになったのはELEY KISHIMOTO。

いままでのテイストと違いすぎて私は不満たらたら。
自分から選ぶブランドとは全く違って、
世界観に共感できる部分が少なかったのです。

初めて写経をするような気持ちで、
分からないながらも、どうにかブランドを理解しようと日々頑張っていた苦く懐かしい青春時代です。

企業内デザイナーとしては大変良い経験でした。

時は経ち、先日のこと。
プロダクトデザイナーを引退された方とお話しする機会があって、
私が以前アクセサリーをデザインしていたことをから、
ELEY KISHIMOTOに関わっていた事をお話したら、
なんと、その方は時計会社のライセンス部門で、同ブランドの製品をデザインしていたことが分かりました。

自分の強運にびっくり。
あと、デザイン業界狭いですね…びっくり。
そして、絶対女性デザイナーだと信じて疑わなかった時計が、
70歳近い大柄の男性の手によって生まれたことに更にびっくり。

何年も前の全ライセンシーが集合した会議の際に
時計の出来が本当に素晴らしくて、
制限の多い工業製品にも関わらず、
比較的自由に造形できるアクセサアリーよりも
ブランドの自由な精神をより良く表現されていて感動したことを伝えると、
その方が持っていらした当時の時計をプレゼントしてくださいました。

恐れ多くて辞退しようと思いましたが、
「僕のようなオジサンが持っていても引き出しに入れておくだけだけど、君みたいな女性が持てば日の目を浴びるでしょ。そっちの方が時計が喜ぶよ」
と嬉しいお言葉まで頂いてしまいました。

ガラスの厚みや、形状など、
工業製品でこれを作るのはとても難しかったんだろうな、と製品化するまでの情熱が伝わってきます。

全然ベクトルは違うけど、私がアクセサリーを作るときに悪戦苦闘していたように、ほかの誰かも大変な思いをしていたんだなぁ…

辛くて苦しかった日の思い出が、
こんな風に報われる日が来るとは……。
大人になってよかった。

当時だったら難しかったアイテムだけど、
今なら自分なりに楽しむことが出来そう。

人生は楽しいことばっかりかもね。